セラミック・ワンダーランド

これはシガラキ・シェア・スタジオの主宰者である杉山が2005年1月号の「陶説622号」に寄稿した文章で、シガラキ・シェア・スタジオの考え方の基本となったものものです。一読いただければ幸いです。(杉山道夫 略歴

セラミック・ワンダーランド  Cramic Wonderland

原稿のお話をいただいた時に何を書かせていただくか若干迷った。しばらくして、考えついたのがやきもののテーマパーク「セラミック・ワンダーランド」(?)のことである。もっとも、この「セラミック・ワンダーランド」、あくまでその概念が私の中にあるだけで世に認められた実体としては存在しない。

それでは、私のイメージとしての「セラミック・ワンダーランド」の世界にどうぞ。

信楽の街並み

今の日本のやきもの人口は概ね次のように分類されると考える。
日展や日本工芸会など古くからある業界のシステムにかかわっておられるいろいろな肩書きをお持ちの方。いわゆる前衛を押しとおすベテラン作家たち。大学などで教鞭を執る中堅、そしてこれからやきものを生活の糧としていこうとする若手たち。また別の視点で見ると主として産地で活動するベテラン技術者たちがいることも見逃せない。その産地にかかわろうとするデザイナー、陶芸家たち。それと美術館を拠点とする研究者たち。作家と買い手との間をとりもつギャラリー、バイヤーたち。メディアに属する人たち。
以上は、とりあえずプロとよばれている人たちである。そしてそのほかに大学でやきものを学ぶ学生たち。各地にある陶芸教室、カルチャーセンターで学ぶ優れたアマチュア陶芸家。以上がおおざっぱではあるが陶芸関連人口の内訳である。

これらの多くの方になにがしかの出番が求められるのが「セラミック・ワンダーランド」である。 個人個人の感性が陶芸をやっていくうえで重要なのはあたりまえであるが、優れた環境は創作の可能性を増すからである。
「セラミック・ワンダーランド」の環境設定には以下のことが不可欠である。

  • 原材料が豊富にあり、ほしい材料がすぐに手にはいること。
  • いろいろな種類の機材、道具が周りにあり貸し借りができること。
  • 若手からベテランまで様々な方向性を持った同業の士が周りにいること。
  • 客観的評価ができる者が周りにいること
  • 近くに販売網の拠点があること。  

こんなものづくりにとって、恵まれた環境ってどこにあるのだろうか。
私にとってもこんな環境は「夢」なのだが、比較的近いのは昭和中頃までの「やきもの産地」ではないだろうか。

信楽の町中の風景

京都は、五条坂に共同の登り窯があったと聞く。付近に工房を構える陶工が窯が焚かれるたびに製品を持ち寄ってくる。そんな風景は今もうなくなってしまった。
信楽では、登り窯が何十基も煙を上げていた時期があるという。窯焚き職人はそれらの窯を渡り歩いていた。また、窯を築き直すときには、「結い」という焼き屋さん(窯元)の互助組織で皆労力を提供して助け合った。そんな習慣があったそうである。

私のいる信楽についていえば、このころ結構京都から作家さんが焼き屋に出入りしていたらしい。焼き屋さんで花器の原型をつくるかわりに自分の仕事をさせてもらったり。先輩方からそのような話はよく聞かせていただいた。焼き屋と陶芸家の非常にゆるやかなシステムできちんと結びついていた。そのような雰囲気があったと聞く。

また、焼き屋さんのなかにも人材育成のシステムがあったように聞く。優れた技術者が、(こわくて気むずかしいおっさんかもしれないが)工場長として現場を仕切っておりきびしいかもしれないが、そこで働いていればやきもののいろんな技術を学ぶことができる。また、生産ラインの一部ではなくやきものづくりの全体像が見渡せるようになっていたのではないかと思う。
なんだか、私も知らない昔の話、しかも伝聞を書いてしまったが、このような環境の中に間違いなく「セラミック・ワンダーランド」の核心があると思うのだがどうであろうか。

私の考える「セラミック・ワンダーランド」というのは、少し前の「産地」の姿なのですが、いかがでしょうか。 今、確かに景気が悪い。あるいはやきものをめぐる社会環境がかわってしまったこともありすべての環境、システムを「昔どおりのやり方にもどします。」というわけにはいきません。

その前提で私の「夢」の計画をご紹介したい。

信楽の登り窯

この文章がでるのは1月号と聞いているので、まだ、「年始め」。これからの私の夢を語っても怒られないでしょう。  まず、産地が持っている財産、資産の確認が必要です。これは大きく二つに分けられます。

ひとつは、物理的なこと。そこの工房、工場はこんな機材をもっていて、こんな特徴のある製品、作品がつくれる実績がある。そういった工房、工場、関連機関の現状把握が必要だと思います。
もうひとつは、人的資源の確認です。特に60代以上のすでに第一線からリタイアした人について。言ってみれば産地の人材バンクの確立です。優れた技術を持っている方、あるいは昔の話を知っている古老からのデータ収集も欠かせません。

そして、上記の情報のまとめ役が必要になってきます。

そのようにして、産地の現状把握ができたら、その情報を皆で分かち合わなくては実業にプラスにはなりません。特に若手への技術、情報の伝授がどうしても必要です。概して、若い人はこんなことには無関心かもしれません。だとしたらそこにある種の仕組みが必要になってくるでしょう。

それと、常に若手を入れて産地の新陳代謝を活発にする必要があります。大学をはじめ多くの教育機関では「やきもの志望者」を量産しています。学生の中で特に優れた人、可能性がある人を産地にリクルートする必要があるでしょう。今の若い人たちは工場に勤めることを求めていないように思われます。ということは、企業(工場)と従業員という従来の関係ではないもっとゆるやかな関係を工場と若い人の間で確立しなくてはなりません。このリクルート作戦には先程述べた産地が持っている物理的な財産、資産が産地の魅力付けに欠かせません。

セラミックワールド

常に若い人が出入りできる環境、そのうえで産地の中で彼らのレベルアップをはかる教育システムが必要です。これには、先に述べた人的な財産、資産の活用が有効でしょう。
概して産地の中にどっぷりつかっていると、他産地のあるいは有名作家のワークショップなどがよく見えてしまいます。灯台元暗しではないですが、案外身近なところを見逃しやすいように思います。

そして、この若手が作陶、生活しやすいように、なにがしかの援助をできる体制づくり、これは行政の担当部分であるように思います。やきものをつくっていくには、どうしても設備投資が必要になります。可能性がある若手には援助の手を差し伸べられる体制が求められます。
さらに援助を受けれた上で、定住してもらえるようにするには、自分の作品を販売できる体制、販売網の整備が必要になります。よいやきものをきちんとした価格で世の中に出していく体制が必要になってきます。

こんな環境が整ったら「セラミック・ワンダーランド」ができた、といえるのではないかなあと思っています。  先に述べたように、産地あるいは地場産業、地域産業、伝統産業といいかえてもよいですが、なかなかむづかしい局面にあると思います。どうしても、新しく生まれてくる産業に行政も社会も目が向いてしまいます。

このような環境の中で生き抜いていくには、あたりまえのことですが、より高品質なオンリーワンのものをつくっていかなくてはなりません。そうすれば、人も集まってくるし流れも変わると思うのですが、そのための「セラミック・ワンダーランド構想」いかがでしょうか。正夢にしたいと思っています。

杉山道夫 略歴
一般社団法人シガラキ・シェア・スタジオ 代表理事

1960年アメリカ生まれ。1979年京都市立日吉ヶ丘高等学校陶芸科卒業。
1980年大阪芸術大学工芸科入学、在学中にカリフォルニア美術工芸大学(アメリカ、カリフォルニア州)に留学。その後、同大学修士課程に進む。1986年同修士課程修了後、アーチーブレー陶芸研究所(アメリカ、モンタナ州)で1989年まで滞在し制作をする。1989年日本に帰国後、滋賀県商工労働部に勤務。滋賀県立陶芸の森の設立準備にあたり、その後2021年まで、滋賀県陶芸の森でアーティスト・イン・レジデンス事業の現場の企画運営管理に当たる。
2015年9月に「国際陶芸シンポジウム」を企画し、海外のレジデンス機関とのネットワーク構築、交流の活性化等に取り組む。また、2016年には、関西広域連合、滋賀県主催のシンポジウム「関西アーティスト・イン・レジデンス」を企画運営する。
2017年から「アーティスト・イン・レジデンス研究会」を主宰し国内の陶芸のレジデンス施設の交流の活性化につとめる。
また、2018年に信楽町内に共同の工房を購入しシガラキ・シェア・スタジオとして運営している。

現在、一般社団法人シガラキ・シェア・スタジオ代表理事、公益財団法人滋賀県陶芸の森アーティスト・イン・レジデンス・アドバイザー。IAC国際陶芸アカデミー会員。日本陶磁協会会員。秀明文化財団 秀明文化基金賞選考委員、信楽伝統陶芸家育成事業選考委員。日本陶磁協会賞推薦委員他。

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